稲手さんのご自宅に伺うと6月に控えた展示会を待つ作品たちが
■先生は雲の人と言われるが・・・

私の知った人で「北出不二雄先生ははじめ雲の上の人みたいで、中々とっつきにくい感じだったけど、話してみたら中々面白い先生や。」と言っておりました。
話をして慣れるまで時間がかかると思います。慣れると割と面白い先生ですよ。
仕事では厳しいが、仕事から離れてしまうと朗らかな人でした。
夏は5時頃になると仕事が終わるので、浜に行って一緒に泳いでいました。本当に5時ぴったりで仕事を終えて、浜まで車で走るという面白い先生でした。

■先生との付き合い

先生との付き合いは35年程はたったと思いますけど。
先生の所に来たのは、中学校すんですぐだったので15、6歳の時分。あの時代は就職がなくてね。
それで、私の親は手に職をもっていれば、食いっぱぐれがないということ考えて。
当時、私の父が先生の所に薪を割りに行っていたんですよ。
先生はあんまり弟子をとらない人だったんだけど、私を入れてもらえるようにお願いしたら、入れてもらえたんですわ。
先生が弟子をとったのは、私と山下一三さん、苧野憲夫さんだけやね。

■親戚あげての出来事だった

親より親戚が、案外やかましかったんです。
親戚も北出って聞くと、そこに入ったならちゃんとせないかんということで、結構やかましかったんですね。
石切職人の親戚がいたもんですから、昔の人は1つのことに熱中しないと一人前になられんということでね。
私ははじめは轆轤と絵付けを習っていたんですよ。
でも、どっちかにしないと両方が中途半端になるよ、と親戚のもんに怒られてしまってね。
だから轆轤を辞めてしまったんですよ。今思うと、もったないことしたなと思うね。
親戚は、それだけ興味もって一生懸命になってくれたんですよ。
今でも轆轤は少々できたんやけどね、いっぺん手についたものは中々逃げていかんもんやからね。

■住み込み時代

はじめの3年半は、家から先生の家は歩いて10分の所でしたが、親が他の飯を食わないかんという事で、住み込みをしていました。
半年に一回しか帰ったらいけないということでね。お給料は一ヶ月500円。散髪代300円でそれで終わってしまう(笑)。その分食べさせてもらえましたけど。
朝4時か5時に起きて、みんなが来る前に先輩の仕事場きれいにして、それからご飯食べてと、結構厳しかったです。
冬なると、しもやけとあかぎれで手が痛くなる程。冷たい土こねて用意しておかないといけないしね。
3年半というのは大変やったです。
住み込み中は、辛抱ならなくて何度も逃げようとしましたけど、実家に戻る前に捕まってしまうんですよ。
先生に捕まったり、先生の奥さんの親につかまったり(笑)。
先生の奥さんの親は、掃除で結構厳しい方でした。指で確認してふっと息をかけて埃が付いていたら怒られるというね(笑)。

■教えてもらった事は轆轤から計算まで

教えてもらうということは日中はなかったですね。朝や夕方からとか夜とかしか。
夜は上絵のほうを習って、午前中の2時間ほどは轆轤を少しやりました。
塔次郎さんはその時分は金沢美術工芸大学の教授だったので、ほとんど美大の自分の部屋で泊まっていたね。
なので、上絵や轆轤は不二雄先生から教えてもらいました。
あと、塔次郎さんのお弟子さんが2人おいでて、北出星光さんと亡くなられた川上龍三さんに結構教えてもらっていました。
まず線をひくことを、何年もやっていました。線を品物に引いては見てもらって、それを消しては描いたりしていました。線の次は、色を塗る。その練習も結構やりました。細かい模様とかはその後ですね。


稲手さんの作品のひとつ。小さな器に細かい模様が描かれている。

教えてもらうというか、見て習うということですね。
今と違って、手にとって教えてもらうことはないですね。自分の目で見て習うってことしかないからね。
私、特に頭もあんまよくなかったから、先生もお前は頭悪いんやし、いっぺん言ってもすぐ忘れてしまうから、体で覚えんとだめやって。だから今も体が覚えとるという感じやね。
あの時分、1から10まで習いましたよ。勉強も教えてくれましたよ。
変な話、計算の仕方から漢字まで先生が教えてくれましたよ。

■先生の仕事姿

先生は作家さんというより、絵の具の試験ばかりしていましたね。いつも絵の具すってましたね。
試験したものがたくさん残っています。一目見てわかるようにね。
(絵の具の試験は)みんなやっているけど続かんのやわ。
絵の具の試験っていうのは自分の子どもにも教えないもの。先生も、自分の子どもさんにも釉薬は教えなかった。
私は先生が釉薬を調合した後に、ゴミ箱あさったりとかね。
どういう絵の具の原料を買ったかとか調べたり、盗みどりしたけど結局わからなかったね(笑)。

──美大の頃は、釉薬を教えていたと聞きましたが。
基礎の部分だけで、自分の絵の具は他の人には教えないやろうね。
彩陶の作品はとくに難しいです。未だにどうやっているのかわからない。
下の素地から違うんです。土の調合もはいってくるので、ちょっとわからんです。
先生は、その研究を相当なさったと思います。だから、まねしようと思ってもできんと思います。
試験を繰り返ししていた姿を見ていたから、自分もよく絵の具の試験をやりましたね。
先生の色が出るまでやりましたよ。何年もやりましたよ。先生はOKはださんけどね、自分で見比べてやっていました。
先生は「おお、いい色になったがいや。」と言うだけです。

■軍隊式の教え方

先生は昔、兵隊の方に何年も行っていて、結構上の方の人だったんでしょう。
何回と叩かれた覚えがありますね。手の跡がつくほど。それが上手に叩くんですよ(笑)。
耳を叩くと鼓膜が破れるから、頬にぺーんと。飛ばされるほど叩かれる、軍隊式です。
言葉は厳しくないけど、案外手の方が早かったね。自分もそうなんやけど短気なんやね。塔次郎さんもそうやったね。


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