■窯の技術

青泉窯にある登り釜は、私と先生ともう1人の人と3人で2年程かかって作りました。元々、あそこに大きい窯があったんですが、福井の地震で壊れて、その後また先生が作られたんです。
先生は窯をいくつも作っていますね。塔次郎さんに教えられたわけではなく、窯は自分で研究しては作って。登り窯も1つも2つも作っていたわ。重油窯も作っとるしね。
私と山下さんと2人で九谷焼窯跡展示館に錦窯(絵付け窯)があるんですが、あれを作ったんですよ。
先生のところにいたおかげで窯もつくれるようになりました。

■よく品物を割らしました

私は、おっちょこちょいなものでよく品物を割らしました。納めんといかん日になってガラガラガラと。
割らした時は怒られても、後からそんなにしつこく言わない先生でした。大きい花瓶とかも、先生我慢してあまり叱らなかった。割らしたおかげで、今自分のものは割らさないです(笑)本当によく割らしました。

■先生の作品について

はじめ、特選となったのがまだ彫刻を入れていない大きな青一色の鉢でした。
賞とるときは大抵青一色ですよ、それから彫刻が入ってきた。
先生も冗談で「賞が欲しい時は青一色にする。」と言っておいでやった(笑)。
先生の作品はコンプレッサーを使うことが多くて、窯詰めも大変だったんですよ。コンプレッサーで色をかけると表面が粒状なので簡単に触れることができないんですよ。しかも先生の作品は大きいから、全部紐で吊って窯の中に入れてたんですよ。

■大物を運ぶのも一苦労

そういうのは送るのも大変でね。
その時に先生に習った方法は、先生は兵隊の頃、爆弾を送ったことがあるみたいで、商品のケースを中で二重にして、上から下からと四方八方に吊るんです。それで空間ができて浮いたようになる。
発砲スチロールでも大きいお皿だと割れてしまいますよ。
1日かかってでもそういうことをして、あんな時分でも自動車はあったんですが、自転車に載せて行くんです。でも、作品が重すぎて自転車が浮いてしまうんです。でも押しながらでは間に合わないし、本当大変だったですね。

■うまくいったら飲みにいく

先生が青一色の作品で、縁の方の釉薬の溜まりがうまく止まったのが嬉しくて、飲みにいってた。
お酒は(先生は)はじめはそうではなかったんですけどね、わたしたちと一緒に飲みはじめてから飲めるようになってきましたね。

■娘さんへの作品

娘さんが亡くなられた後に作られた作品は、大切にされていますね。菩薩を描いた大皿が残っています。
赤地金彩の菩薩の絵が描いてある大きな作品です。いつもは、赤地金彩では描かないけど、あれだけですね。

■青泉窯の弟子の特徴は

作風は山下さんと私の作品が随分違うように、なるべく違うものをっていう気持ちがありますね。
先生も塔次郎さんと似たものはほとんどないもんね。極端にいうと全然違うからね。
北出風というものは、私とか亡くなった昂太郎さんが少しやっているけど。
なるべく違うもの作ろう、作ろうとかかるわ。同じもの作りたくないっていうか、マネしたみたいになるのが嫌なんですよね。


北出の技術を受け継ぎながらも独自の文様を追い求める稲手さんの作品

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