──絵付けをされるときも、はじめに色や文様を決めてはいないんですか?

そある程度、そのアフリカのタペストリーのように法則として基本を決めて、そのなかで自由に。あることだけを決めておいて、そのなかでいろんなことをやっていくと、やりながら楽しい。同じものをきちっと決まったとおりに塗り絵するのはあんまり楽しくないんで。

こういう線を描いたら次、この線に受けるためにはこうかな、こうがいいかなって考える。考えながら、ひと筆ひと筆描いてくっていうのは、まあ手間がかかるけど、やっている行為は、なんか、もの作りの大事な行程に自分は携わっている、申し訳ないくらい楽しませてもらっているって感じはしますね。

──和絵の具と洋絵の具と両方お使いなんですか。

ええ、和絵の具っていう九谷の伝統的なものはもちろん基本にしているけれども、それだけだとある程度限られてくるんですよね。ほかのものとの組み合わせによってもまた新しいことができるんじゃないかなっていうんで、重ねて塗ったり、組み合わせてみたり。
染付っていうのも上絵とは違って、染付は染付の深みがあり、美しさがあるから、釉薬の下にそういう青をやって、上絵に洋絵の具で塗り重ねて、微妙な変化を求めたり。

──色自体が立体的に見えますよね。

ふだん使っている和絵の具の調合は、なるべく呈色剤を薄めにして、で、塗る絵の具を厚く塗るんです。ガラスの厚さでいうと、わりと厚く塗るとちょうどよくなる。呈色剤っていう、発色させる銅とか鉄とかの金属をたくさん入れれば、絵の具を薄く塗っても濃く塗っても変わらない、ぺたーっとしたペンキのようになる。僕は濃淡がつくほうが面白いと思って、薄めのガラス釉をたくさん塗ったり、薄く塗ったりしてるんですよね。
油絵の具で塗るっていうよりも、水彩画のような、そういうものが好きなんです。だから洋絵の具使って、上に透明釉をかけることによって、漂うような深みが出てくるんですよね。そうすると水彩画に近いかなぁと。

──大きな作品も作っておられますよね。

楽しいですよね。頭の中でまずアイデア考えて、鉛筆でらくがきしながらまずミニチュア作って。たぶんこれは作っても売れないだろうなとは思いながらも、いっぺんアイデアが浮かぶと作らなくてはすまないという(笑)
花坂の土っていうのは、ほんとの磁器とはちょっと違って、半磁器に近いっていうか、焼成温度が低いと磁器化しないのもあるかもしれないんです。磁器としてはあんまりよくない部類やと思うんですけど、でもそのよくないっていう性質をうまく利用すればいろんなことができる。
九州の土だとろくろひけないくらい難しいんですよね、僕は。ねちょーっとして。
(花坂の土は)コシがあるっていうか、そのコシがあるっていうのを利用して手びねりしてるんです。手でひねって、積み上げても崩れないし、焼いても裂けたりもしないし、まあ磁器の粘土としては上等ではないけれども、その性質をうまく利用すれば独特のものができるんですよね。

──常に新しいものを探求されているんでしょうか。

そうですね、やっぱり革新ていうか、その時点その時点での新しいものを作っていかないと、力が消えてしまうんと思うんですよね。新しいものを作ろうって、そういう意欲をもってものを作っていかないと、残っていかないやろうとね。伝統っていうのも、続かないと、今に残っていないし。
僕は作り手だけでなくて、それを鑑賞するっていうか、そういう周りの人の目も肥えていかないと、消えていくんやないかなぁと。作るだけではやっぱりだめで、見る人たちもいてはじめてこういう文化も残っていくんやし、九谷焼はすばらしいって言われてるのは、その作り手だけじゃなくって、そこに商いの人もいるし、アカデミックに取り上げて、それを形として残していこうとした人たちがいるから、今になったんやと思うんやね。

《好きな加賀の場所》

伊切の海岸が好きでね。砂利浜がきれいで。砂利が絵を描いて、細かいところと荒いところが層になったり。
急に深くなってて泳ぎにくいけど、そこもよく北出先生と泳ぎに行って。平泳ぎならどんだけでも泳げるでしょ。夕陽を見ながら泳いだんです。

(2010年10月26日)


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