──世の人々のライフスタイルの変化を敏感に感じ取り、それを制作に反映させているという。 消費者のニーズは肌で感じているのだろうか。

自分の中でアンテナ張ってるんですよ。アンテナ張って、だからどこへ行っても、感度の問題。この仕事を好きでやってて、自分はこの仕事で一生やっていくんだと思う以上、精一杯の感度で何でも考えて、茶碗に生かす。それが僕らの仕事なんです。
世の中のニーズも変わってきてるでしょ。それから様式も変わってきてる。その様式に合わせて、やっぱり変化しているっていうか。
料理も変わってる。いま使ううつわっていうと、パスタかカレーを食べるうつわと、マグカップと、まあご飯茶碗を使うかどうか。それもプレートになってきてるでしょ。小鉢とか、使わないですよ。ふた開けてとか。品種がぐっと減ってる。
畳の部屋も少なくなってきてるでしょ。部屋数とか、人の集まる場所も変わってきてる。そうすると、用ということ、用途が変わってきてるんですよね。そういうことをじーっと考えれば、陶芸家といえども、要求されるものというのが昔と変わってきてる。たとえば花瓶なんか全然売れなくなったんですよね。でっかい花瓶なんか邪魔でしょ。いま家が小さくなってるから、ちっちゃい花瓶でいいんですよ。ちっちゃくていいものであったり、薄くてたとえば壁面を飾るものであったり、コーナーを飾るものであるべきで。いまどきでっかい床の間ですごいとこなんてもうないんですから。それを花瓶作ってもしかたないからね。
ちょっと前だったら、いい家っていうのは北欧の家具があって、打ちっぱなしのコンクリートで、でかいガラスが入ってて、シンプルなうつわがあって、椅子なんかもそんな感じで。テレビはプラズマのでっかいやつが入ってて。それが10年前のトレンド。

全部トータルで見て、今何が必要かっていうこと、必要なものでないと売れないという発想は、経営の発想なんですよね。陶芸家は個人企業でもあるんで、経理もできなきゃいけない、営業もできなきゃいけない、企画もできなきゃいけないわけですよ。それでもって製造もできなきゃいけない。小さいといえどもすべてできないと、そこが穴になっちゃう。僕らの仕事は、仕事がないから頂戴っていう仕事じゃない。仕事がないって言うのがわからない。必要とされるものを作ればいい。それを妙に頼っちゃうからだめなわけで。

──長左さんは皇室で使われるうつわも制作されていますね。

あれもね、お師匠さんのおかげなんです。何にも見てなくってわかってなかったら、実はそういう意識ってできないんですよね。で、そう思うと、僕は何人かのお師匠さんについたんですけど、お師匠さんに習ったことがすごく影響してる。
たとえば、習った先生の中に、日本画の勉強された先生がいるし、それが僕のデッサンの元になっているしね。それから、迎賓館のほうへ納めた先生もいますし、その迎賓館に納めた先生の作品を若いときに見てるから、そういう、宮家とか宮内庁とかに納める品物とか、なんていうんですかね、おぼろげながら、こういうイメージとか。そういう感覚とかっていうのは、やっぱり見るとか触るとか、子どものときから含めていうと、自分の見たものとか触ったものとか、味わったものでないと想像できないでしょ。
そういう意味においては、実は親は建築でリフォームをしたり、昔の旅館を移築したり、そういう仕事をしてて。子どものころ、そういうお手伝いをしてたんです、日曜なんかに。古い釘ぬいたり、片づけたり。
だからそのときに、たとえば間取りとか、江戸間とか京間とか、敷居とか鴨居とか、なげしとか、床の間の下がどうなっているかとか、家の間取りとか昔の間取りとか、こう、自然に入ってきた。











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