──苧野さんの作品はブルーもそうですけど、絵も特徴的ですよね。

デッサンにしてもね、なかなかうるさいんですよ。鳥の絵なんか描いてても、新開先生なんか「君の鳥は飛ばん」とかね。先生の鳥でも、こんな漫画みたいな鳥、飛ばんやろと思うんやけど。
ああいう上のランクの人は、たいしたもんやと思うんですよ。北出不二雄先生もそうなんやけど、「これは骨折してる。骨折してる鳥は飛ばん!」言われて。でも、どこが骨折してるかわからん。私を弟子にとってたりしたときも、常に、「自分が何を描いているか、何を描きたいか、と思いながら絵を描きなさい」。こう、絵を描いてると、北出先生に、「苧野くん、どこ描いてる?」って言われて、えー、どこって、この皿描いてますけどって言う程度。
そのときにこう、岩を描いてる、草を描いてる、鳥を描いてるって認識がないわけよ。つまり、皿を写そうとしてる自分しかないから。うまいこと写そうと思ってれば、描いてるものが、要するに全て一緒なんやね、パターン化されて。
ほんで、あぁ、そうやった、あぁそうだって。絶対違うはずだって。岩の線と鳥の線は、おんなじように見えるかもしれんけど、違うはずだ。岩は空を飛ばないし、しっかり大地に根付いてる。その線がやっぱり出てこないと、よくない。それがまあ、北出先生のところでの6ヶ月の中の最高でしたね。


《干支ぐい呑・高杯》

京都の先生の最高は、「もう、出て行け」。言われたんですよ、ほんとに。「君を千尋の谷に落とす獅子と同じ心境だから、もう、出て行け」って。すごかったですよ。
「明日から玄関から入って来い」。今までずっと仕事場だから、後ろから入ってた。で、「明日からはもう、決して仕事場から来るな」と。「明日から君とはもう1対1の人間だから」って。まるまる9年。10年目やめて最後の挨拶行ったときに、上座へ座らされたんですよ。「どうぞ」って。
あんなびびったことはない。すごいですよ、京都ってとこは。生半可じゃない。
ほんと怖いよ。とてもじゃないけどふかふかの座布団なんか座れないし。だけど、そういう気持ちっていうんかな、ぴちっとこう切り替えしていける、それはやっぱり、今の自分が作品をつくっててもそう思います。だらだらとしちゃだめだと。この作品はこの作品でもう終わったら、決別しなきゃいかんと。そして次見るときは、買う立場になって作品を見るとか、鑑賞者の気持ちで見るって、こう、ばちっと切り替える。なかなかできんけどね。あの新開寛山先生はすごかったですね。座れなかったですよね、上座に。もうびびって、どうしたらいいかなーって。
でも、いまでも、床の間背にして座らして、で、どうぞ膝崩してって言うて、で膝崩したら先生も崩す。そりゃできないですよ、10年も使ってた弟子を次の日からそんなふうには。

──京都のあと、北出先生のところに行かれたのはどうしてですか?

九谷焼って知らなかったから、ちょっと教えてもらおうかなっていう気があって。蹴ろくろとかも知らなかったし。わずかやったけど、面白かったですよ。また違った意味で厳しい先生でしたからね、北出先生も。しっかり怒鳴られましたね。
やっぱいろいろあるからね、先生によって違うから。京都の先生は、仕事しながらこう、わりとしゃべってくれる先生で。
僕ら全く訓練校出だから、知らないんですよ。焼きものって知ってても、アートとは何かとか、ものをつくるってどういうことかとか、そういうことは知らない。で、展覧会とか、仲間で出してると、みんな京都芸大とか出てるから、言葉とかすごい専門用語やん。もうぜんっぜんわからん。ほんとわからん。それからものすごく勉強しましたよ。ひたすら。
で、まあ、新開寛山ていう先生は、まあ、そういうことも、ものの作り方を教えてくれたから。どうしてこれをつくろうと思うんだっていうところから。
何にもなしに作れないでしょ。何かを思わないとこのうつわを作れないでしょ。何かを思うなら、すごく、思えばいいわけや。絶対これを貴方のためにつくるっていう基本があれば、その貴方のことを、どう思うかによって、うつわは変わるはずやから。

──やはり作り手さんの思いっていうか世界観というか、作品の中に出てくるんでしょうかね。

それは表れ出ると思うんですよ、みなさん。表れないと何の意味もないとは思うんですよ。
「表れてるなぁ」って言われるとドキッとするけど。でもそういうもんなんですよ。

《好きな加賀の場所》

自分のうちが一番!

(2010年11月9日)


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